忍者ブログ

二段さき

noteには書きにくい話をしています。ツイッター備忘録的な。 創作投稿報告も兼ねています。

とある同人をやめます

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

とある同人をやめます

私が中学生の頃から大好きだった作家の一人がいました。高校までは進学校だとか親が厳しいだとかさんざ言い訳をして、サイン会に行くのを拒んでいましたが、大学生になりとあるイベントにもぐりこませてもらってから、すっかりサイン会の常連で、担当編集にまで顔を覚えられ、twitterアカウントまでわかられてしまいました。(後述でも明かされますが、作家本人と私の因縁については、あまりに長いので、あと話せないこともあるので割愛させてください)
 その頃はまだ、奇想館もミスドアもなかったけれど、大学入ってからミステリ二次同人しているフォロワーにたくさん会いました。やっぱり推しキャラや推し作家の話をするのは楽しいし、文芸サークルで同人誌出したことはあったりもしたので、いつか二次創作同人誌を出したいなあ、なんて言ってました。卒論前なのに、推しシリーズのアンソロを初編集でひいひい言いながら出したのはいい思い出です。
 その後も、大きな赤ブーさんのイベントや文学フリマ東京で、推しシリーズの二次創作小説本を定期的に出していました。正直言って、小説執筆歴一年程度の本当にひよっこなのに、同人誌を手に取ってもらえたのは、ひとえに表紙を歴代担当してくださった、絵師のお蔭だったと思います。しかし、一冊だけ私の実家の本棚に自作同人誌がないんです。それは、文学フリマ東京で頒布していた時に、見本誌(というか自分用)に残しておいていた本を「すいません、これ在庫ないんですか?」と訊いてきた、あまりに見知った人がいたからです。私も、だれであれお客さんというか欲しがっている人に渡すべきだと思って、わたわたしながらも、値札を剥がしてその本を頒布しました。当時出していた本をすべて手に入れて帰って行かれました。
 正直、私はどうしたらいいか、わかりませんでした。あとになって、竹本健治のウロボロスシリーズなんて読んだりして、ミステリ作家とミステリ同人(二次創作)の距離感の近さを知ることになるのですが、当時はまだミステリ読みとしてぺーぺーで知る由もありませんでした。
 それ以前にも、当時サークルの先輩だった人間が、担当編集と作家に、私が主催するオフ会をチクられた、という経験もありました。もちろんツイッター上で見える形でやっているのだから、彼らも「見て見ぬふり」をできたはずです。なのに、引用リツイートみたいな形で、あからさまに言及を求められた作家は、それとなくツイートをしたわけです。(オフ会会場は、当時作家が好きだとサイトで明言していた、シャッターズというアップルパイアラモードのお店でした。しかも、作家はいつも吉祥寺の話をしていることが多いことから、シャッターズ吉祥寺店で開いたのです。)「今日は例のお店にのぞきに行きたいが、仕事が忙しい」確かそういうツイートをしていたわけです。(もしかしたらまだツイッターで検索すれば該当ツイート群は見つかるかもしれませんが、私は怖いので見ません)
 とにかく、私はにわかオタクの癖に、あまりに作家に「見られている」ファンだったわけです。

ところで。私が、どうして推し本を書いていたか、というのは明確で「公式で続きが出ないから」「アニメ化作品ばかり目がいくことに正直嫉妬していたから」の二点でした。正直後者に関しては、あまりにアニメや漫画のクオリティが高く(ただ、コミカライズ一話のミスを思わずツイートしたら単行本化で直ってたのはいい思い出です)誰もがその作品に一目置かざるを得ない良作でした。アニメ会社のファンも作家を知ることになり、今の作家人気の一番最初の盛り上がり地点は、やはりそこにあったので、文句があるわけではないのですが、やはり嫉妬はしました。だって、アニメで原案が出たり、インタビュー記事が増えたり、とかく原作シリーズが作品数も増えたのです。
 一方、推しシリーズは最終巻の話がインタビューで毎年ちらりと出て、やがて消えてしまいました。もうその作家はYAやライトノベル文脈の小説から、一般小説ジャンルに挑戦し始めていた時期です。推しシリーズは明らかに「最終巻とされる作品を、書かれないでもしかしたら作家が筆を執るのをやめるかもしれない」という危機感すらありました。アニメ化シリーズなら、二期とか映画だって期待できるけれど、推しシリーズはコミカライズのみです。(でもね、推しシリーズのコミカライズもはちゃめちゃキュートでオススメなんですけどね!)続きが出ない、少なくとも後回しにされている感じを受けちゃったわけです。
 だから、私は推しシリーズの二次創作を書き続けました。私より前に同人誌の形で出した人を知っていますが、私が一番小推しシリーズで同人誌を出したことは紛れもなく事実です。たぶんpixivでも私の作品がかなりの数小説では出てくると思います。それくらい、気付かれれば、きっと「ファンが続きを求めている」ということがアピールできると思ったのです。同人が隠れなくちゃいけない、なんていうのは、正直ミステリ同人には薄く、ミス研(要するに同人誌を作るサークル)あがりの作家は当たり前にいるし、島田荘司周辺などはそれこそBLカプ同人作家をデビューさせる試みまであったくらいです。同人イベントで、原作者と逆カプで同人誌出しちゃった、なんて話も当たり前にある世界です。もう出し続けているうちに、私も感覚がおかしくなってしまったのかもしれません。

 別ジャンルに入れ込んだりもしましたが、やっぱり最初に出した同人誌は推しカプだったし、それは本当に大事な思い出です。だから、最終的に連作短編集としてまとめられる短編が不定期に掲載され始めたことに喜んでいたし、毎回雑誌を手に入れては喜んでました。でも、その時なにか違和感を感じていました。単行本になっても違和感がなんだかわからないうちに、サイン会にも行きました。やっぱりサイン会は大好きです。

 昨日、友人と話をしていて気づいてしまった事がありました。それは、推しシリーズの文脈が完全に連作短編集で壊された面がある、ということでした。それまでで描かれているふたりと、短編集のふたりとは、明らかに違うのです。エンターテイメントのテーマのひとつに、「人間同士の相互不理解」というものがあるとしたら、まさに少なくとも短編集前までは「相互不理解」がテーマの根底にあったはずです。推しカプは似た者同士でも「他人」だから推理方法も違えば、人間へのアプローチも、甘味への興味も、まるで違う。「ちがう」ということが強調され、それでも「相互互恵関係」を続けるこの気味悪さこそが、推しシリーズの肝だったわけです。それを二次創作者は脚色してレンアイ的に解釈する、それはどこのジャンルでもあると思います。当たり前に、日本は恋愛至上主義的だし、そういうものだと思います。だけれど、今手元においてはいないので、どこを、と指摘することはできませんが、連作短編集のふたりは「わかりあっている」「好きあっている」ことを強調するわけです。当たり前に、岐阜県から名古屋まで何度か遠出するふたり、それって相当親密な関係じゃないの、と思っちゃうわけです。要するに、二次創作より公式があからさまにふたりの親密さを強く描き始めたわけです。
 もしかしなくても、私(たち)の二次創作によって、本来のふたりが歩むはずだった世界とは別の世界を短編集として見せられ、そしてこれから出るであろう冬期は、連作短編集の文脈を踏まえて話が展開されていくわけです。ファンサービス、といえば聞こえはいいかもしれませんが、要するに、私(たち)の願望とか妄想どおりのものを、作家は意思を曲げて、もしくは意趣替えして書く気になってしまったんじゃないか。そう思ってしまうわけです。
 私が当時書けた小説はラブコメ調の低次元な小説で、今ならもっと「相互不理解」について深く言及した二次創作を出せると思いましたし、実際推しシリーズで一番最近出した本はそういう話でした。pixivで無料公開を二日ほどやっていたので、読んでいるひともいるかもしれません。(まだ在庫はあるんですが、諸事情でまったく在庫を動かすことが出来ないのですが)
 私が下手なりに書いた小説を、私の理想の推しカプだと思われたようで、本当にやるせない気持ちになったわけです。他のミステリ小説で言えば、薬屋探偵の座木と秋のようなかみ合ってない関係性や、天帝シリーズの柏木と古野のような関係性が好きだったのに、書けなかった。そして、読者も悦んでくれるから調子に乗って書き続けてしまった。だから、自分が書いている二次創作と、理想とのギャップで気持ち悪くなってしまったわけです。

 私は、作家作品のプチオンリーを主催しました。アニメ化作品のオンリーイベントは過去にありましたが、私は小説家が好きな集まりがやっぱりしたかったわけです。小規模なジャンルながら、たぶん大成功と言えたと思います。みんな楽しかった、とツイッターでもお手紙でもたくさんくれました。だから、いつかまたやろうと思っていました。

 でも、私(たち)が二次創作をすることによって、原作者があまりにそれに従いすぎてしまうのは、正直私の本意ではないのです。もしかしたら文字通りのファンアート(要するにイラスト)程度であれば、たぶんそこまでの影響力はなかったかもしれません。しかし、小説や漫画には物語があります、イラスト以上に解釈が入ります。その解釈に、原作者が毒されブレを起こしてしまったのだとしたら、それは私個人の意味では本意ではなかったのです。

 だから、私がこれから作家が好きなのは変わらないけれど、作家作品の二次創作を控えたくなったわけです。好きだけれど、好きだからこそ、私の二次創作を読んでそれがねじ曲がってしまうのではないか、と怖くなってしまったのです。

 大手のジャンルなら、そんなこと気にしなかったと思います。ミステリ以外でも小規模なジャンルでもそんな事件を起こしてしまった私は、正直言って怖くなってしまったわけです。作家とファンの距離感以上のなにかが発生してしまうことが、ひどく恐怖でした。その恐怖感と、作品という現実をつき合わせたときに、私は、少なくとも作家作品を二次創作することに躊躇ってしまうのです。

 もしかしたら、そしらぬ顔でまた書く日が来るかもしれません。でも、たぶんこの気持ち悪さを忘れることはないと思います。私の二次創作を楽しんでくれた方、プチオンリーの続報に期待していた方には、本当に申し訳ないのですが、ここであの作家の二次創作作家として、一度ピリオドを打つことをお許しください。

こんな長い文章をもしちゃんと読んでくれたのなら、本当に私の作品やプチオンリーが好きだったのかもしれないけれど、ちゃんと理由を書いてから、筆を置いた方がいいと思ったから書いただけです。みなさまの二次創作意欲を削いでしまったらすみません。愛の伝え方はひとそれぞれだし、他人のやり方に口を出す気はないです。ないけど、私は向いていない方法をいきなりやってしまったな、と後悔しているのです。

 懲りずに他のジャンルの原稿はやるし、ミステリでもたとえば麻耶とかは書くと思います。思いますが、それは原作者がファンと距離をとれるんだな、と思えるジャンルにだけ絞る、ということです。作中で、二次創作ネタをこっそり入れている、なんていうのを聞いてしまっては、私は正直作品を少なくともweb公開にすることも躊躇われてしまうわけです。

もう、本当に言いだしてやめてしまうダメ野郎で申し訳ないし、私の気持ちを分かってくれるとか期待していません。これは人間の相互不理解の話だからです。こういう意見もあるんだな、という程度に思ってください。

今まで、二次創作をできて楽しかったです。ありがとうございました。本当にたくさんいい思い出ができました。
PR

コメント

1. …

あなたにそんな影響力があるとは思えないので、ただの勘違いでは?

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

P R