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二段さき

noteには書きにくい話をしています。ツイッター備忘録的な。 創作投稿報告も兼ねています。

推し同人作家の話(1)

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推し同人作家の話(1)

久しぶりに長い長い自分語りをしています。noteには書けない話だけれど、やはりどこかで書いておきたかった話です。(1)はとても暗い話なので、(2)だけ読んでくれてもいいです。 

 私は、七年ぐらい二次創作同人作家をしているのだけれど、どうにも「二次創作を読む」というのが苦手で、苦手なまま同人イベントに参加し、プチオンリーに参加し、プチオンリーを主催してしまった、という謎の境遇があります。私が世界で一番推している小説家、米澤穂信の小説がアニメ化されたとき、「なんでこんなものを描いてしまうのか」と思わず言いたくなるようなものを、表紙だけでも見かけてしまったのが、耐えられなかったのです。(一部は当時のサークルの先輩に悪ノリで読まされました。はっきり言って黒歴史です)ああ、同人作家っていうのは、自分の欲や金のためなら、どんなこともしてしまうんだな、とそのとき思ってしまったのです。
 といっても、その頃には確か私もpixivで二次創作をアップするようなひよこ二次創作者でした。小市民シリーズのいわゆる(?)おさこばを描き続けていました。「氷菓」の(プチ)オンリーイベントには怖くて行かれなかったけれど、最初に出した同人誌が、二十人の原稿を集めた小市民シリーズのアンソロジーであったことは鮮明に覚えています。そして、ツイッターの相互フォローの人間が主催するミステリ作品プチオンリーであれば、参加してもいいかな、と思えたのでした。景品におさこばのグッズまで作ってもらえて、上機嫌でした。その頃ぐらいだったと思います。アニメ「氷菓」から米澤穂信作品を大好きだと言ってくれた、見月まことさんに出会ったのは。
 彼女は男女カプというものをこよなく愛していて、当時は筋金入りの男女カプ推し女だった私は、いろんな話をしました。その後、別ジャンルの話もして、相互にジャンルやカプを紹介する仲になりました。でもいつも、微妙に推しているものが違うのが面白かった。米澤穂信作品では、彼女は奉えるを私はおさこばを、パンドラハーツでは彼女はオズアリを私はブレシャロを。そして、決定的に、彼女の転機となった文豪ストレイドッグスというジャンルで、彼女は敦鏡を推しました。私が、文ストを読んだとき、あまりに彼女が好きだろうと確信してしまい、勧めました。冗談みたいにすっころんで行くのを、私は眺めていました。(もう当時私は何を推していたかわからないけれど、たぶん綾村だったと思います)
 私はやっぱり二次創作を描くばかりで、読む方はてんで駄目でした。友人の本であっても、すべてを持っているわけではなかったのです。でも、参加した合同誌やアンソロジーで描いていたものを「素敵だ」と思えたのは、やはり絵の巧拙ではなく「愛」を感じたからでした。
 だから、彼女が敦鏡結婚プチオンリーをやる、と聞いた時は、応援しなくては、と思いました。結局まともな協力はほとんどできず、サークル参加で一冊「敦鏡結婚」をテーマにした短編集みたいなものを出したきりでしたが、コスプレイヤーさん二人に敦鏡を結婚式を演出させ、企画を山盛りに詰め込んだ、「これが二次創作の力なんだ」と信じられるようなものでした。

 その後も、私がジャンルを右往左往していても、良き友人であり続けた彼女が好きでした。文スト劇場版の舞台挨拶付上映チケットを彼女のために二枚手配したし、パンドラハーツのコラボカフェにもふたりで行きました。その時、たまたま血界戦線一期アニオリキャラにハマってしまった私に、同人誌を一式貸してくれました。たぶん、その時が唯一「推しカプ」が被った瞬間だったと思います。
 けれど、彼女は時折しんどいと漏らしていたのを覚えています。生まれつきの障害の話は多少聞いていましたし、家族との関係が、みたいな話もありました。実家から少し離れた生活ができて、落ち着いたかと思っていました。どこか、自分の境遇に近いところ(当時私は未診断とはいえ発達障害と、家族の問題を抱えていました)を見出してしまったから、どうにかできないのかな、とは思っていました。しかし、彼女はやや遠方に住んでおり、互いにおいそれと会えるものでもなく、私も何もできないでいました。
 ずっと漫画は買っているし、舞台も毎作見ているし、とにかくずっとファンをやっていたんですが、敦鏡っていいなって思ったのは、その頃になってやっとです。劇場版文ストと、漫画での「父の肖像」というエピソードが、あまりに好きになってしまった。その頃、二次創作短歌に凝っていた私は、舞台「黒の時代」の二次創作短歌を一通り創作したあと、敦鏡短歌を創作しました。
 ことばで人を楽しませる、そういう趣味をやっているのに、私は無力でした。彼女はあっけなくこの世を去りました。Skypeに入ったメッセージは、たぶんまだ残っていると思います。怖くて、それからSkypeをほとんど使えていません。私の敦鏡短歌を見つけてくれた、みそ汁さん。彼女も見月まことさんからメッセージを受け取っていたはずです。もう当時錯乱していたので状況がどうだったか、よく覚えていないのですが、自殺を仄めかすメッセージを受け取って、やっと理性を取り戻して交番に駆け込んだのは、数時間後でした。本当はよくないことですが、当時彼女の住所を同人誌の送付の関係上知っていたので、警察に連絡をとってもらいました。警察の人は「大丈夫だよ」と言いましたが、たぶんその時にはもう手遅れだったのでしょう。数か月後、別のフォロワーから彼女が亡くなったことを、彼女の家族から直接聞いたということでした。私は「大丈夫」を信じて、初めて敦鏡のこと大好きだよ、と伝えたくて敦鏡短歌同人誌を住所に送りました。でも、それは読まれることはなかった。残念でなりません。
 彼女に「二次創作の光」を見せてもらいました。だから、その後、私は米澤穂信作品プチオンリーを主催しました。彼女が主催したプチオンリー同様、大成功に終わりました。二次創作は愛の証明なんだ、と信じたかったのです。きっと、彼女も生きていたら、奉えるを新刊やアンソロで描いてくれたはずだろう。せめて、どこかで見ていて欲しいな、と思います。

私がいつも敦鏡を見ると、真っ先に彼女のことを思います。彼女のための紙幅がない敦鏡アンソロジーに、私が代わりにページを埋めているような気分にすらなります。つい最近出たばかりの新刊です。私が小説を寄稿しているので、よければ読んでみてください。小説を祈りを捧げるために、私は書いています。
敦鏡アンソロジー『ヨコハマサニーデイ』


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